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春分の日・秋分の日

春分・秋分の日ってどんな日なのか知ってますか?

<概略>[1][2]
一年を24に分けた二十四節気では、「昼と夜の長さが同じ」になる事を「春分・秋分」または「春分日、秋分日」と言います。
どの国でも「昼と夜の長さが同じ」になる日を何かしらの名前で呼ばれているようです。
日本では、この特別な「春分日、秋分日」を「春分の日・秋分の日」として祝日にしました。
「春分日、秋分日」は天文観測で求められます。地球が春分点・秋分点を通過する日(日本時間)としています。 春分点・秋分点については、説明が難しいので、地球が昼と夜の長さが同じになる軌道点と思ってください。 「春分の日、秋分の日」は、国立天文台が作成する『暦象年表』という小冊子に基づいて閣議で決定され、 前年2月第1平日付の官報で発表されます。

◆春分の日[1][2]
1948年(昭和23年)に公布・施行された「祝日法」によって国民の祝日に制定されました。
「春分の日」は「春分日」と規定されています。 「自然をたたえ、生物をいつくしむ」ことを趣旨として制定されました。
3月20,21日頃に「春分」になりますので、「春のいぶきを感じて、生命についして考えよう」と言うことでしょう。

◆秋分の日[1][2]
1948年(昭和23年)に公布・施行された「祝日法」によって国民の祝日に制定されました。
「秋分の日」は「秋分日」と規定されています。 「祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ」ことを趣旨として制定されました。
春分・秋分を中日(なかび)とし、前後各3日を合わせた各7日間を彼岸と言います。 春と秋で計14日間の彼岸があります。最初の日を「彼岸の入り」、最後の日を「彼岸明け」と言います。
彼岸の中日(春分・秋分)に墓参りをする風習があります。
秋分の日の趣旨が「祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ」なのは納得できます。

◆春分・秋分の日は昼と夜の長さが同じではない[1]
春分・秋分は、昼と夜は同じであると定義されています。
これは天文上のことで、実際に人が昼と夜の時間を計ると、同じになりません。
それは、下記の理由によるものです。

日の出、日の入(日没)の定義の違い[1]
春分・秋分は太陽の中心が地平線にかかる位置を意味します。
しかし、日の出、日の入(日没)は太陽の上端で定義されています。
日の出は、太陽の上端が地平線より出た時点、日の入(日没)は太陽の上端が地平線に隠れた時点です。
従って、春分・秋分であっても、昼が長くなることになります。
図にすると下図のようになります。
黄色が春分・秋分の太陽の位置
ピンクが日の出、日の入(日没)の太陽の位置

大気の屈折による位置のずれ[1]
地球には大気(空気)があります。その大気により、像が屈折して実際の位置とは違って見えます。 具体的には、太陽は実際の位置より上に見えます。
どういうことかと言えば、日の出の例では、太陽の上側が地平線に出る前に、太陽の上側が地平線を越えたように見えます。
従って、昼が長くなることになります。
図にすると下図のようになります。
ピンクが日の出、日の入(日没)の太陽の位置
青の円が見た目の日の出、日の入(日没)の太陽の位置

その他の理由[1]
上記以外にも、昼と夜の差が生じます。
専門的で理解が出来ないので説明は省いて結果だけを記載します。
日周視差によるずれ---0.7秒日の出が遅く、0.7秒日の入りが早くなる。
春分のずれ-----------±1.1分変動する。ただし平均には影響を与えない。

◆二十四節気[1][2][3]
春分・秋分が使用されるのは二十四節気です。
夏至・冬至の二至、春分・秋分の二分を併せて二至二分と言い、立春・立夏・立秋・立冬を四立、二至二分と四立を併せて八節と言います。
春分と秋分は説明しましたので残りの節気(区分)についてもみてみましょう。
節気をクリックすると説明にジャンプ 冬至(とうじ) 小寒(しょうかん) 大寒(だいかん) 立春(りっしゅん) 雨水(うすい) 啓蟄(けいちつ) 春分(しゅんぶん) 清明(せいめい) 穀雨(こくう) 立夏(りっか) 小満(しょうまん) 芒種(ぼうしゅ) 夏至(げし) 小暑(しょうしょ) 大暑(たいしょ) 立秋(りっしゅう) 処暑(しょしょ) 白露(はくろ) 秋分(しゅうぶん) 寒露(かんろ) 霜降(そうこう) 立冬(りっとう) 小雪(しょうせつ) 大雪(たいせつ)

冬至(とうじ)は、二十四節気の第22。12月21,22日頃
北半球で一年で最も昼が短い。
「日南の限りを行きて日の短きの至りなればなり」(こよみ便覧)[3]
(訳)太陽が最も南の軌道を通り、太陽の出ている時間が最も短いことによる。
なればなり:理由を示す意味として「ことによる」、として訳しました。

冬至には、色々な話があります。
先ずは、クリスマスについて。
キリストの誕生が12月25日に定められたのは、4世紀半ば、だとされています。 キリストの誕生は分かっていませんが、便宜上定める必要があったためだとされています。
では、なぜ12月25日が誕生日になったのでしょう?
当時のローマでは冬至にあたる12月25日を太陽神を祭る祝祭日としていました。 それは、冬至以降は、日増しに日が長くなっていくことから、「新しい太陽の誕生」を示唆したものです。
この「新しい太陽の誕生」に「キリストの誕生」を重ね合わせたものだとする説が有望です。
次に、冬至に柚子湯(ゆずゆ)に入る理由について。
冬至に柚子湯に入ると風邪をひかないと言う風習がが伝えられています。
冬至と柚子との関連は明確になってませんが、冬至(とうじ)と湯治(とうじ)の語呂合わせと共に、 「身体息災であれば融通(ゆうずう)が利く」の「融通が利く」と「柚子が効く」のこじつけからとする説があります。
柚子湯は、
・血行を促進して冷え性を緩和
・果皮に含まれるクエン酸やビタミンCによる美肌効果
・芳香によるリラックス効果
があり、先人の知恵と言えます。
小寒(しょうかん)は、二十四節気の第23。1月5,6日頃。
寒さが最も厳しくなる時期の前半。
「冬至より一陽起るが故に陰気に逆らう故、益々冷ゆるなり」(こよみ便覧)[3]
(訳)直訳するのが難しいので、私なりの解釈で訳しました。
冬至が過ぎると日が伸びるが寒さも負けずに、益々冷えこむ。
大寒(だいかん)は、二十四節気の第24。1月20,21日頃。
寒さが最も厳しくなるころ。
「冷ゆることの至りて甚だしきときなればなり」(こよみ便覧)[3]
(訳)寒さが最も甚だしいことによる。
立春(りっしゅん)は、二十四節気の第1。2月4,5日頃。
春の初め。
「春の気立つを以って也」(こよみ便覧)[3]
(訳)春の陽気が現れること。
正月節とも言われる。但し、旧暦1月1日が立春だとの勘違いがある。
旧暦1日は必ず新月(月から反射した太陽光が地球にほとんど届かないことと、満月の反対)だが、 立春は新月に関係なく、昼と夜の時間の関係から定められるため、多くの年は1日にならない。
雨水(うすい)は、二十四節気の第2。2月18,19日頃。
空から降るものが雪から雨に変わり、雪が溶け始めるころ。
「陽気地上に発し、雪氷とけて雨水となればなり」(こよみ便覧)[3]
(訳)暖かい陽気が地上に漂い、降る雪(雪から出来た氷も含む)が溶けて雨となること。
啓蟄(けいちつ)は、二十四節気の第3。3月5,6日頃。
大地が温まり冬眠をしていた虫が穴から出てくるころ。
「陽気地中にうごき、ちぢまる虫、穴をひらき出ればなり」(こよみ便覧)[3]
(訳)暖かい陽気が地中に届き、冬眠していた虫(身動きしないでいた虫)が地面に穴をあけ地中から出ること。
「啓」は「ひらく、開放する、(夜が)明ける」などの意味。
「蟄」は「冬ごもりのために虫が土の下に隠れる、とじこもる」という意味。
春分(しゅんぶん)は、二十四節気の第4。3月20,21日頃
昼と夜の長さが等しくなる。
「日、天の中を行て昼夜等分の時なり」(こよみ便覧)[3]
(訳)太陽は天の真東から昇って真西に沈み、昼夜の長さが同じになる日のこと。
上の◆春分の日を参照
清明(せいめい)は、二十四節気の第5。4月4,5日頃
万物がすがすがしく明るく美しいころ。
「万物発して清浄明潔なれば、此芽は何の草としれるなり」(こよみ便覧)[3]
(訳)万物(生きるもの)が芽吹き、清清しく鮮やかなので、草木の種類が明らかになる。
「清浄明潔」は「清明」に略されます。
穀雨(こくう)は、二十四節気の第6。4月20日頃
田畑の準備が整い、それに合わせて春の雨の降るころ。
「春雨降りて百穀を生化すればなり」(こよみ便覧)[3]
(訳)春の雨が降って、さまざまな穀物の成長を助けることによる
立夏(りっか)は、二十四節気の第7。5月5,6日頃
夏の気配が感じられるころ。
「夏の立つがゆへなり」(こよみ便覧)[3]
(訳)夏の気配が現れること。
小満(しょうまん)は、二十四節気の第8。5月21日頃
万物が次第に成長して、一定の大きさに達して来るころ。
「万物盈満(えいまん)すれば草木枝葉繁る」(こよみ便覧)[3]
(訳)万物(生きるもの)が満ちあふれ、草木の枝葉が茂る。
芒種(ぼうしゅ)は、二十四節気の第9。6月5,6日頃
芒(のぎ 、イネ科植物の果実を包む穎(えい)すなわち稲でいう籾殻にあるとげのような突起)を持った植物の種をまくころ。
「芒(のぎ)ある穀類、稼種する時なり」(こよみ便覧)[3]
(訳)上記に同じ。
夏至(げし)は、二十四節気の第10。 北半球で一年で最も昼が長い。
「陽熱、至極し、また、日の長きのいたりなるを以てなり」(こよみ便覧)[3]
(訳)太陽が最も暑く、太陽の出ている時間が最も長いことによる。
小暑(しょうしょ)は、二十四節気の第11。7月7日頃
梅雨明けが近付き、暑さが本格的になるころ。
「大暑来れる前なればなり」」(こよみ便覧)[3]
(訳)「大暑」が来る前のことによる。
「大暑」は「大暑」を参照してください。
大暑(たいしょ)は、二十四節気の第12。7月22,23日頃
快晴が続き、気温が上がり続けるころ。
「暑気いたりつまりたる時節(じせつ)なればなり」(こよみ便覧)[3]
(訳)暑さが最大となる時期であることによる。
立秋(りっしゅう)は、二十四節気の第13。8月7,8日頃
初めて秋の気配が現れてくる頃とされる。
「初めて秋の気立つがゆゑなれば也」(こよみ便覧)[3]
(訳)初めて秋の気配が現れることによる。
処暑(しょしょ)は、二十四節気の第14。8月22,23日頃 暑さが峠を越えて後退し始めるころ。
「陽気とどまりて、初めて退きやまむとすれば也」(こよみ便覧)[3]
(訳)暑さが停滞していたが、暑さが初めて緩んでいくことによる。
白露(はくろ)は、二十四節気の第15。9月7,8日頃
大気が冷えてきて、露ができ始めるころ。
「陰気やうやく重り(かさなり)て、露にごりて白色となれば也」(こよみ便覧)[3]
(訳)寒さが段々と厳しくなり、夜露が白くなっていくことによる。
陰気:、ようやく:段々
秋分(しゅうぶん)は、二十四節気の第16。9月22,23日頃
昼と夜の長さが等しくなる。
「陰陽の中分なれば也」(こよみ便覧)[3]
(訳)夜と昼が二等分(同じ)になることによる。
陰:夜、陽:昼、中分:中点、二等分(同じ)
上の◆秋分の日を参照
寒露(かんろ)は、二十四節気の第17。10月8,9日頃
露が冷気によって凍りそうになるころ。
「陰寒の気に合つて露結び凝らんとすれば也」(こよみ便覧)[3]
(訳)寒さ気配により、夜露が凍りそうになることによる。
霜降(そうこう)は、二十四節気の第18。10月23,24日頃
露が冷気によって霜となって降り始めるころ。
「露が陰気に結ばれて霜となりて降るゆゑ也」(こよみ便覧)[3]
(訳)夜露が寒さの気配により凍りついて霜となって降り始めることによる。
立冬(りっとう)は、二十四節気の第19。11月7,8日頃
初めて冬の気配が現われてくる日。
「冬の気立ち始めて、いよいよ冷ゆれば也」(こよみ便覧)[3]
(訳)初めて冬の気配が現れることによる。
小雪(しょうせつ)は、二十四節気の第20。11月22,23日頃
わずかながら雪が降り始めるころ。
「冷ゆるが故に雨も雪と也てくだるが故也」(こよみ便覧)[3]
(訳)冷気のため雨も雪となって降ることによる。
大雪(たいせつ)は、二十四節気の第21。12月7日頃
雪が激しく降り始めるころ。
「雪いよいよ降り重ねる折からなれば也」(こよみ便覧)[3]
(訳)雪が益々降り積る時期になることによる。

(注)こよみ便覧の訳は個人的な解釈です。転記する場合はご注意ください。誤った解釈だとしても責任を負いません。

◆「春分・秋分」と「彼岸」と「お墓参り」の関係[1][2][4][5][6]
先ずは、「彼岸」と「お墓参り」の関係
「彼岸」は仏教と緊密な関係があります。 それを詳細に説明するには特定の宗教名が登場してきますが、ここでは宗教名を挙げずに簡単に説明します。
仏教では、生死の海を渡って到達する悟りの世界を「彼岸」と言います。
「彼岸」を漢字の意味で言い直すと分かりやすいです。
「彼岸」=「彼方の岸」=「向こう岸」=「仏様が住んでいるあちらの世界」=「生死の海を渡って到達する悟りの世界」となります。
(ちなみに、仏教の発祥の地インドではサンスクリット語の「波羅蜜」(Paramita パーラミター:意訳「至彼岸」)に由来しています。 また、その反対側の私たちがいる迷いや煩悩に満ちた世界を此岸(しがん)と言います。)

「六波羅蜜」と言う教えがあります。
布施波羅蜜: 布施をすることです。布施することは金銭、形ある物の恵みを分け与える事だけではなく、 教え・恐怖心の除去など精神的な物の分け与えも含める場合もあります。 布施は檀那(だんな)や旦那とも訳されます。檀と略す場合もあります。
持戒波羅蜜: 戒律を守って生きることです。戒律とは一般には、五戒です。
・殺生(せっしょう)をしてはならない(不殺生)
・盗みをしてはならない(不邪淫)
・淫らな愛欲の行為をしてはならない(不邪淫)
・他人を欺いたり,嘘をいってはならない(不妄語)
・深酒をしてはならない(不飲酒)
出家者 はもっと多数の戒があるそうです。
自覚的に実践することが重要とのことです。
忍辱波羅蜜: 耐え忍ぶこと。侮辱や苦しみに耐え忍び、心を動かさない事。
人は多かれ少なかれ他人に迷惑をかけて生きているものです。
心を動かさない事とは、その他人の迷惑を許すことであるそうです。
精進波羅: 精進とは努力することです。
但し、無理を重ね、身を粉にして行う努力は、仏教で言う精進ではないそうです。
そのような行為は単に執着・執念であり、仏教の物事に拘らない開放的な精神を会得する事に反しているとの事です。
真の精進とは、当たり前の事を当たり前にし、ゆっくりと着実に努力する事で、人間らしい生き方の中で行う事が重要だそうです。
禅定波羅蜜: 禅定とは、行動に対して、散乱する心を安定させ、心を集中することです。
禅という漢字が含まれているので、座禅そのものであると誤解されやすいですが違います。 座禅は、心を集中させるための一つの方法だと考えれば分かりやすいと思います。
要は、行動において、「○○しながら△△をする」と言った「ながら行動」や邪念を持った行動をやめ、 その行動の本質だけに集中して行動するということらしいです。
智慧波羅蜜: 智慧(ちえ)とは、物事をありのままに把握し、真理を見極めることです。
漢字毎に意味を見ると、「智」は相対世界に向かう働き、「慧」は悟りを導く精神作用のことです。
上記の五波羅蜜は手段であって、これらを実践するには、この智慧をもって世の中を見定めることが重要らしいです。

その「彼岸」と祖先を敬う「お墓参り」と「六波羅蜜」を結びつけて、期間(彼岸)を設定して、 お墓参りと六波羅蜜を実践させる行事が出来ました。彼岸の7日間の中日に先祖に感謝しお墓参りし、 残る6日は、悟りの境地に達するのに必要な6つの「六波羅蜜」を1日に1つずつ修める日としています。
この風習は日本特有な行事です。

次に、「春分・秋分」と「彼岸」の関係
彼岸は西に、此岸は東にあるとされており、太陽が真東から昇って真西に沈む秋分と春分は、 彼岸と此岸がもっとも通じやすくなると考え、先祖供養をするようになったと考えられています。

他には、日本では、太陽の神を信仰する神道と結びつきやすかった為、春分・秋分といった特別な日が 自然に対する感謝や祈りがご先祖様に感謝する気持ちにもつながったと言う考えもあります。

◆なぜ「暑さ寒さも彼岸まで」?[2]
彼岸にまつわる日本の慣用句として、「暑さ寒さも彼岸まで」があります。
その内容は、そのままの意味で、冬の寒さ(余寒)は春分頃まで、夏の暑さ(残暑)は秋分頃までには和らぎ過ごしやすくなると言う事です。

春分(春の彼岸)は春(立春〜立夏の前日)の折り返し地点で、春分以降、昼が長くなってゆく
⇒寒さが和らぎ暖かくなると言われています。

秋分(秋の彼岸)は秋(立秋〜立冬の前日)の折り返し地点で、秋分以降、昼が短くなってゆく
⇒暑さが和らぎ涼しくなると言われています。

観測データと比較しても、この慣用句の意味するところが概ね的を射ているとのことです。 逆に、的を射ているからこそ慣用句になったのに間違いはありません。

参考サイト
[1] ウィキペディア の「春分の日」,「秋分の日」,「二十四節気」及び各節気,「彼岸」
[2] 生活総合情報サイトAll About(オールアバウト)から 2014年 お彼岸の時期と常識
[3] 国立国会図書館デジタルコレクションこよみ便覧 (次でページをめくって、P.7)
[4] 生活総合情報サイトAll About(オールアバウト)から なぜお彼岸にお墓参りをするの?
[5] 生活総合情報サイトAll About(オールアバウト)から なぜお彼岸は春分・秋分と関係があるの?
[6] 釈迦の教え 「幸せになる方法」此岸にいながら彼岸に渡る六つの方法(実践編)

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