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「夕焼け小焼け」と厚木市の関係

<童謡「夕焼け小焼け」>
夕方になると子供の帰宅を促すためにメロディーを流す市町村が多いと思います。
メジャーなのは、「夕焼け小焼け」でしょう。
厚木市でも「夕焼け小焼け」が流れています。
今まで気が付かなかったのですが、「夕焼け小焼け」と厚木市には意外な関係があったのです。
童謡「夕焼け小焼け」と作者:中村雨紅について調べてみましょう。

「夕焼け小焼け」
作詞者:中村雨紅(1972年5月8日没、著作権保護期間中)
作曲者:草川 信(1948年9月20日没、著作権保護期間満了済)
著作権保護期間中のため、歌詞は掲載できません。

中村雨紅が1919年に発表。草川信が1923年に曲をつけた。
原詞と初期のレコードでは、「お月さん」だったようです。
途中から、「お月さま」に変わっています。
「お月さま」と歌われだしたのは、1920年代のようです。
文部省は1947年に音楽教本に掲載する時、
「お月さん」を「お月さま」に統一しました。
従って、私も「お月さま」で覚えました。

ちなみに、「小焼け」とは何でしょう?
夕焼けと語調をそろえていう語。 「大辞林(三省堂)」
夕焼けがだんだん薄れること   「新明解国語辞典(三省堂)」
夕日が沈んで暗くなった後、もう一度空が赤く染まる現象
                「インターネットで見つけたもの」

インターネットで調べると、「夕焼け小焼け」の歌は、
夕焼け→小焼け→日暮れ→鐘の音 という時の流れを示していると
説明をされている方もいました。「「勉強さしてもらいます」より」

夕焼け小焼けを使った童謡として、「赤とんぼ」も有名です。

「赤とんぼ」
夕焼小焼の、赤とんぼ
負われて見たのは、いつの日か

山の畑の、桑(くわ)の実を
小籠(こかご)に摘んだは、まぼろしか

十五で姐(ねえ)やは、嫁に行き
お里のたよりも、絶えはてた

夕焼小焼の、赤とんぼ
とまっているよ、竿(さお)の先

作詞者:三木露風(1964年12月29日没、著作権保護期間満了済)
作曲者:山田耕筰(1965年12月29日没、著作権保護期間満了済)

三木露風が1921年に児童教育雑誌『樫の實』に発表、改定して童謡集『眞珠島』に収録。
山田耕作が1927年に曲をつけた。
三木の故郷である兵庫県龍野町(現在のたつの市)で過ごした子供の頃の 郷愁から作ったといわれている。

発表年を見ると、夕焼け小焼けのフレーズは中村雨紅の方が先に使っています。

<中村雨紅>
・1897年2月6日、東京府南多摩郡恩方村上恩方字関場(現・東京都八王子市
 上恩方町関場)の「宮尾神社」神官の次男として生まれました。本名は高井宮吉

・1916年3月28日、東京府立青山師範学校を卒業。第二日暮里小学校に奉職。

・1917年5月15日、東京府南多摩郡境村相原(現・町田市相原)の中村家(おばの家)へ
  養子に行き中村姓となる。1923年5月29日に復籍。これは、結婚直後にあたる。

・1918年3月30日、新設された第三日暮里尋常小学校に転勤。
  このころから同僚と回覧文集を作り、「童謡童話運動」を始める。

・1921年、『金の船』に童話と童謡を投稿して掲載される。
  当時の筆名は「井宮」という。この頃、病気の野口雨情を訪問。
  これを機に、雨情に師事し、童謡や詩を多数創作。ペンネームを井宮から、
 「中村雨紅」に変えた。「中村」は養子先の姓で、「雨紅」は野口雨情の
 「雨」の一字をもらい、「それに染まる、にかよう」との思いを込めた「紅」。

・1923年7月、文化楽譜『あたらしい童謡』(文化楽社刊)に、
 「ほうほう螢」「夕燒小燒」が掲載。

・1924年3月31日、東京府北豊島郡板橋尋常高等小学校訓導となる。

・1926年3月、日本大学高等師範部国漢科を卒業。
  授業をこなしながら二年間の夜学で中等学校教諭の免状を得た。

・1926年4月14日、東京府北豊島郡滝野川高等小学校訓導となる。

・1926年12月30日、県立厚木実科高等女学校(現・厚木東高等学校)教諭になる。
 退職までの23年間、ここに勤めました。
 
・1927年1月7日、東京から神奈川県愛甲郡厚木町(現・厚木市)に引っ越した。

・1962年11月27日、元湯 玉川館に中村 雨紅直筆の碑を建立。
 「夕焼け小焼けの碑が終生の地となる神奈川にはないんだよ。」と
 おっしゃる中村氏の思いに玉川館が中村氏のお選びの位置に建立

・1972年5月8日、厚木県立病院(現・厚木私立病院)で亡くなる(享年75歳)
 厚木市に引っ越して、亡くなるまで45年間、厚木市に住んでいた。 
 厚木小学校の校歌は、作詞は中村雨紅で、作曲は岡本敏明です。

                   (池田小百合なっとく童謡・唱歌 & 元湯 玉川館より)


ここまで読めばお分かりの通り、「夕焼け小焼け」の作者の中村雨紅氏と
厚木市とは長い付き合いがありました。
また、中村氏は、厚木市七沢の夕焼けは故郷の風景に似た趣があるとも
言われており、「夕焼け小焼け」は厚木の歌とも言えます。
夕方に「夕焼け小焼け」のメロディーを聞く時がありましたら、
歌詞を口ずさみながら、子供の頃を懐かしんでみてください。

(2009/11/23 追加)
2009/12/20の市民芸術祭に中村雨紅氏の「夕焼け小焼け」などの童謡を
厚木混成合唱団が歌う。
市民芸術祭は、2部構成で、第一部が合唱団が披露する。
第2部は、市民ミュージカル「大山の天狗さま」を市民34人が演じる。
ミュージカルは、昔の厚木が舞台で笑いや涙で村人たちの絆をテーマにした
物語です。日照りが続いき、このままでは食べるものがなくなると、
雨ごいをする。ある晩、一人の男の前に大山から降りてきた天狗が現れる。
天狗は、雨を降らせる代わりに命をもらうと言う。男が命はあげられない
と答えると、天狗は、「楽しく喜ばせたら命をとるのはやめよう」と言った。
そのため、村人たちで笛と太鼓を鳴らして、仮装して舞を踊ることになった。
当日、天狗はこの舞に満足し、今後「里神楽」として大山に献上することを
申しつけてた。天狗は約束通り雨を降らせた。
原作は、三田にお住まいの近藤正さんが書いた童話「大山の天狗さま」です。
市民芸術祭は、指定席700円、自由席500円で文化会館および、各所のプレイ
ガイドにて購入できます。

参考にしたサイト
勉強さしてもらいます のPart2 の 74.ゆーやけこやけ次のページ
SAYURI IKEDA の「池田小百合なっとく童謡・唱歌(童謡・唱歌事典)」
 中の「夕焼小焼」と「赤とんぼ」
めざせ!厚木博士
 くらし→ 文化と芸術→文化人・名誉市民→中村雨紅 と
 産業→観光業→ 歴史や史跡をたずねてみよう→中村雨紅・夕焼け小焼けの碑
七沢温泉の旅館 元湯玉川館 ゆかりの文化人→中村雨紅
高尾通信 高尾にまつわる文学→夕焼け小焼けの里
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』中村雨紅 で検索


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