◆鉄道開通◆ |
最初に開業したのが相模鉄道(現JR相模線)でした。(蒸気機関) |
1921年(大正10年)9月28日 |
「茅ヶ崎」〜「寒川」間を単線開通。 |
1926年(大正15年)4月1日 |
寒川」〜「倉見」間を単線開通。 |
次に、神中鉄道(現相鉄線)が開業します。(蒸気機関) |
1926年(大正15年)5月12日 |
「厚木」〜「二俣川」間を単線開通。
「厚木駅」は、開通と同時に開業した駅であり、相模鉄道や小田原急行鉄道より、厚木付近までの開通が早かったため、まだ駅のなかった厚木町(当時名称)の承諾を得て「厚木」と名付けた。「当時の厚木駅」は「現在の厚木駅」より相模線で橋本に向かって400m寄った位置にあったらしい。 |
2ヵ月後には、相模鉄道(現JR相模線)が厚木までを開通します。 |
1926年(大正15年)7月15日 |
「倉見」〜「厚木」間を単線開通。
「厚木駅」は、神中鉄道と相模鉄道の共通駅となる。 |
その1年後、最後に開業したのが、小田原急行鉄道(現小田急線)ですが、最初から全線開通をしました。 |
1927年(昭和2年)4月1日 |
「新宿」〜「小田原」間(小田原線)を一部単線で電化全線開通。
相模鉄道と神中鉄道の「厚木駅」には接続しておらず、単独駅の「河原口」を設けた。本来の厚木には既に「厚木」が存在した為、「相模厚木」とした。
和泉多摩川から多摩川まで引込線を引き多摩川の砂利の輸送もしていた。 |
1927年(昭和2年)10月15日 |
全線複線で開通 |
神中鉄道(現相鉄線)が路線延長 |
1927年(昭和2年)5月31日 |
「星川」〜「北程ケ谷」(現星川)間を単線開通。 |
1929年(昭和4年)2月14日 |
「北程ケ谷」〜「西横浜」間を単線開通。 |
1929年(昭和4年)2月14日 |
「厚木」から小田原急行鉄道「河原口」の隣に新駅「中新田口」を開業。汽車は小田原急行鉄道「河原口」への乗客の便のために無人駅の「中新田口」へ走った。「河原口」と「中新田口」は共通駅ではない。 |
小田原急行鉄道(現小田急線)の新路線 |
1929年(昭和4年)4月1日 |
「大野」〜「片瀬江ノ島」間(江ノ島線)を開通。 |
相模鉄道(現JR相模線)が路線延長 |
1931年(昭和6年)4月29日 |
「厚木」〜「橋本」間を単線開通。
これで、計画した「茅ヶ崎」〜「橋本」間の全線開通となる。 |
神中鉄道(現相鉄線)が路線延長 |
1931年(昭和6年)10月25日 |
「西横浜」〜「平沼橋」間を単線開通 |
1933年(昭和8年)12月27日 |
「平沼橋」〜「横浜」間を単線開通
これで、計画した「厚木」〜「横浜」間の全線開通となる。 |
小田原急行鉄道(現小田急線)が小田急電鉄(現小田急線)に |
1941年(昭和16年)3月1日 |
親会社に当たる鬼怒川水力電気を合併し、「小田急電鉄」を設立。
取締役社長に利光鶴松が就任したが、小田急電鉄は、莫大な借金があり、それを処理できるのは、五島慶太氏の手腕に頼むしかないと利光鶴松氏が全てを彼に託し、五島慶太氏が後に社長となる。 |
神中鉄道(現相鉄線)が路線延長 |
1941年(昭和16年)11月25日 |
「相模国分」〜「海老名」間を単線開通。現在の「海老名」駅ではない。今より約400m新宿寄りにあった。
小田急電鉄は「海老名国分駅」は「海老名」より約400m新宿寄りにあり、小田急電鉄は駅を移動せず、「海老名」にも停車しなかった。「海老名」は神中鉄道のみ停車。
これに伴い「厚木」〜「相模国分」間の旅客運輸営業を廃止。この区間は貨物路線として継続。
神中鉄道が小田急電鉄「相模厚木」へ海老名駅からガソリン気動車で乗り入れ開始。念願だった本来の厚木からの路線が達成される。 |
相模鉄道(JR相模線)が新駅開設 |
1943年(昭和18年)2月 |
小田急電鉄「河原口駅」の隣に新駅を設置し、「河原口駅」が小田急電鉄と相模鉄道の共通駅となる。 |
小田原急行鉄道(小田急線)が海老名の共通駅を開設 |
1943年(昭和18年)4月1日 |
小田急電鉄は「海老名国分」を廃止し「海老名」を開業。
やっと相互接続駅となる。
当時の小田急電鉄(現小田急線)は東京急行電鉄に組み込まれていた。
下記の鉄道会社の再編を参照 |